広報ID1029930 更新日 令和3年9月16日
盛岡市と函館市は、石川啄木にゆかりのあるまちとして「啄木かるた大会」などを通じて交流を続けてきましたが、今後も交流が継続され、相互の理解と友好的な交流がさらに深まるよう、両市教育委員会間で「友好交流に関する覚書」を取り交わすこととなりました。
日時 令和2年2月15日(土曜日) 13時から
場所 渋民文化会館(姫神ホール)
盛岡市渋民字鶴塚55
啄木・石川一(はじめ)は、明治19年(1886)2月20日、現在の盛岡市日戸の日照山常光寺で生まれる。
翌年、現在の盛岡市渋民の万年山宝徳寺に移る。
明治31年(1898)に盛岡中学校(現在の盛岡第一高等学校)に入学。この時代の盛岡中学校は、啄木のほか、金田一京助や野村胡堂など多彩な人材を輩出したことから「盛岡中学校の黄金時代」と呼ばれる。
啄木は、21歳のときの、明治40年(1907)に渋民を離れ、函館に向かう。弥生(やよい)小学校の代用教員や函館日日新聞社の遊軍記者を務め、雑誌「紅苜蓿(べにまごやし)」の編集に力を注いだ。
函館で出会った友人の中でも特に宮崎郁雨(みやざきいくう)は、啄木の新居や家族の引越旅費の工面のほか、北海道内を転居し上京した後に残された啄木の家族の面倒をみるなど、経済的援助を行った。このような縁があって、石川啄木一族の墓は、函館山の南東側の立待岬近くにある。
啄木生誕110年記念事業の一環として、玉山村村長と村民が函館市を訪問し、函館市文学館等を訪問
「啄木の里ふれあいマラソン大会(盛岡)」と「函館ハーフマラソン大会」への選手の相互派遣(盛岡市・玉山村合併前まで継続)
函館市文学館の事業で函館市民が石川啄木記念館を訪問
函館市文学館主催の「石川啄木講座」等に、講師として石川啄木記念館の学芸員を派遣
函館市文学館事業で「啄木かるた大会(函館大会)」優勝者の「啄木かるた大会(玉山村大会)」へ派遣開始
「啄木かるた大会(函館大会)」に玉山村の選手を派遣。その後、相互に選手を派遣しあう交流を行い、現在も継続中
教育委員会 歴史文化課
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